日光例幣使街道〜街道宿ヒストリーウォーク〜
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豪華・絢爛、そんな感嘆詞が出る鹿沼の彫刻屋台は、無名の職人が作り上げた美術工芸品である。
繊細な彫物の中に、関東人のたくましさ、気迫を込めた彫物師の苦闘がにじみ出ている。
これらの彫物の全ては、富田宿の磯辺一族とその門下、さらに日光東照宮の修理工事に動員された
                  彫物師たちの不朽の名作である。鹿沼宿は、各地で育った彫刻師に、
                        彫刻屋台によって腕を振るう機会を与えたとも言えるかもしれない。



■今宮神社氏子町屋台(27台)   (市):鹿沼市指定文化財
  町名 屋台仕様 制作年 特徴
1 久保町 黒漆塗彩色屋台(市)
彫刻:彫師不明
文化9年(1812)?
(彫物箱銘文)
黒漆、金箔が惜しげもなく使われ豪華な塗り屋台。 金色の鬼板と懸魚は双竜の同一構図。
2 銀座二丁目 白木彫刻屋台(市)
彫刻:磯辺義兵衛敬信 後藤音次郎・音吉・徳三郎 神山政五郎
組み立て:大工茂八
安政4年(1857) 鬼板は桐と鳳凰の図。(後藤音吉)外欄間は松と桜に雌雄の金鶏鳥、 障子回りは松とボタンに小鳥を配し脇障子は上部飛竜(磯辺義兵衛敬信)、 淡彩が施されている。腰板は親子亀(後藤音次郎)
3 天神町 白木造彫刻屋台 (市)
彫刻:磯辺義兵衛敬信
江戸時代? 鬼板と懸魚は雄大な飛竜の図。外欄間は梅に尾長鳥。障子回りは波竜、 高欄下はボタンと唐獅子に統一。
竜虎の脇障子とマリの内部を巧みにくり抜いたカゴ彫りの絶妙な作品。
4 上材木町 黒漆塗彩色屋台(市)
彫刻:石塚直吉知興
天保12年(1841) 屋根・柱とともに総黒漆塗り、ところどころ金色の化粧金具が飾られ、 彫り物も平極彩色生彩色と各種の技法が用いられている。
※安永6年に製作にかかり補修されいまの屋台が完成されたとの言い伝えもある。
5 戸張町 飾金具付黒漆塗彩色屋台(市)
彫刻:石塚直吉吉明他
文政12年(1829) 高価な天然緑青が惜しげもなく使用されている。 彫りが美しく、藤の古木に羽ばたく大鷲が鋭い目で餌を探すと、 あわてた三匹の親子ザルが樹間に身を隠す絵画風図柄。外欄間はブドウとリスの装飾彫り、 車隠しは波、脇障子は金鶏鳥とブドウの厚肉彫り。
6 泉町 屋台本体:宇賀神久男
彫刻:黒崎孝雄
平成8年 鬼板と懸は玄武。脇障子・欄間などは花鳥。
7 御成橋町 彫刻:石塚源次 彫物:昭和10年 大正6年花屋台新造。戦後、彫物は彩色され、風格も一段と加わった。
8 仲町 白木造彫刻屋台(市)
彫刻:日光五重塔彫物方棟梁である後藤周二正秀
天保7年(1836) 五重塔再建後、17年経った作品。鬼板、懸魚が技巧に過ぎる嫌いもあるが、 脇障子、外欄間は一転写実性を盛り込んだ装飾画風な構図を展開。 ボタン・クジャク・梅・松、樹間に遊ぶ小鳥の図は一幅の花鳥画である。
9 麻苧町 白木造彫刻屋台(市)
骨組み:鹿沼宿の宮大工茂八
彫刻:後藤音冶郎
欄干飾りの金竜:左甚五郎11代を名乗った磯辺木斉
安政4年(1857) 白木地彫り、屋根は波状形になった唐破風造りで、小型踊り場がつき、 鹿沼屋台特有のスタイル。鬼板の大小獅子、箱棟を飾る小獅子は後藤彫りの逸品
10 石橋町 黒漆塗彩色屋台(市)
補修:大出常吉・政次
彫刻:文化9年(1812) 鬼板・懸魚は菊花と瑞鳥・鳳凰。脇障子は菊に雌雄の孔雀。
11 下材木町 黒漆塗彩色彫刻屋台(市)
彫刻:磯辺義左衛門信秀3代目
天保3年(1832) 唐破風造り、柱の化粧金具がなく、渋みのある塗り屋台。 鬼板は波竜。 脇障子は海中から天上めがけて躍り出る上り竜と下り竜の雄姿が、 両面透かし彫りの巧みな技法で表現されている。
12 寺町 白木造彫刻屋台
設計:半貫金太郎
彫刻:山口忠志
昭和3年
彫刻:昭和53年
屋台の歴史は古いが明治40年の大火で亀の子屋台を焼失。 現在の屋台は唐破風造り、高欄は神橋を模した虹高欄に仕立てた。 外欄間は双竜で外障子の虎に呼応。竜虎の構図を形成している。
13 蓬莱町 白木造彫刻屋台
大工:半貫文太郎
彫刻:市内油田の旧家に収蔵されていたものを購入
高欄下の竜他:富山県井波町の彫刻師・日展会友の笹川無門の制作
昭和30年 棟飾りの鬼板は飛竜の図。後部障子の羽目板は菊と孔雀の彫物。 明治年間の作品。平成4年から富山県井波町の彫刻師・日展会友の笹川無門の制作にて 高欄下の竜、脇障子の鷹、欄間の十二支など見事な彫刻で屋台前面を飾る。
14 鳥居跡町 白木造彫刻屋台
大工:半貫文太郎
彫刻:富山県井波町の井波彫刻協同組合
昭和30年
彫刻:昭和63年
鬼板と懸魚は鳳凰と牡丹の彫刻。屋台前面花鳥。 日光山の遠鳥居の跡が町名由来から、内欄間に日光山と鳥居が掘り込まれている。
15 田町下組 中田町 白木造彫刻屋台(市) 嘉永・安政年間(1850)? 鬼板・懸魚の波竜、脇障子の松はとツルの彫物は後藤周二正秀の手法に酷似。
16 下田町 白木造彫刻屋台(市)
彫刻:石塚直吉吉明
文久2年(1862) 鬼板がおおいかぶさるような雄大な白木地彫り屋台。 2階の鬼板・懸魚は親子獅子3匹。
17 下横町 黒漆塗彩色彫刻屋台(市) 江戸時代? 屋型は唐破風造り。一般的な野州型彫刻屋台。屋台の特色は華麗な芙蓉の花。 棟飾りの鬼板と懸魚が同一構図となって装飾性を高める為一つの彫物のように見える。
18 銀座一丁目 白木彫刻黒漆塗屋台(市)
彫刻:天保3年(1832)
磯辺凡龍斎秀信(高覧下・車隠し)
文化11年(1814)
本体
屋台本体は華麗な黒漆塗り地であるが、彫物は豪華な白木地彫り。 車隠しは向き合いの飛竜が海中に身をくねらし、前部蹴込みから屋台両側面に胴体を流している。
19 末広町 白木造彫刻白木造屋台
今市町谷部落にあった天祭棚を飾る
製作:明治15年
彫刻:昭和
鬼板はボタンの花、懸魚は唐獅子となり、前柱は柱隠しで飾ってある。
20 東末広町 大工:元野勝三/五郎兄弟・宇賀神久男
彫刻:辻幹雄(懸魚)菅沼保(脇障子・方立)
昭和57年
彫刻:平成10年 12年
銀座1丁目屋台の構造・係数を参考として建造。車輪は楡木から購入したものを使用。 竜が天に昇る様を描いた波に特徴のある懸魚。牡丹を背景に獅子の子の脇障子・方立
21 田町上組 上田町 白木造彫刻白木造屋台
彫刻:日光五重塔彫物方棟梁である後藤周二正秀
彫刻修復:黒崎孝雄
彫物:文政5年(1822) 現在の彫刻屋台は3台目。昭和28年建造。鬼板・懸魚一組・脇障子高覧下・ 車隠しは古い屋台の彫刻を活用。
金の飛竜が波間で呼応する鬼板と懸魚。梅と伊勢エビで春を祝う脇障子。
22 文化橋町 白木造彫刻白木造屋台
大工:半貫文太郎 彫刻:辻幹雄
昭和33年
花屋台新設
平成10年鬼板・懸魚がつけられた。
23 朝日町 白木造彫刻屋台
宇都宮市宿郷町所有のものを昭和61年に購入
昭和29年 唐破風付館型の白木造り。
鳳凰の鬼板、牡丹の懸魚。
24 府中町 白木造彫刻屋台
製作者:修一建設
彫刻:黒崎孝雄
平成2年 修一建設の建造で、鬼板の彫刻は獅子が破風上部を覆う 「大獅噛(おおしがみ)」懸魚は獅子と相対して「牡丹」
25 府所町 白木造彫刻白木造屋台
製作者:修一建設
彫刻:台湾三義市の彫師
昭和63年 彫刻は、竜・獅子・十二支の動物を配した勇壮なものである。
26 府所本町 製作者:修一建設
彫刻:鄭(てい)
平成5年 平成8年、2匹の竜が玉を奪い合う鬼板・懸魚が取り付けられた。
27 上野町 白木造彫刻屋台
屋台: 元野兄弟
彫刻:黒崎孝雄
昭和58年
平成10年完成
屋台前面を豪壮な彫り物で飾られており、 龍馬の彫刻に上野町の特徴が表現されている。
    上大久保 彫刻:神山政五郎といわれる 明治10年 鬼板・懸魚は前後とも親子の飛竜で、 脇障子にあたる左右にはりすにぶどう。

 
彫師名 詳細 彫師名 詳細
石塚直吉知興 田沼町出身 磯辺家で修行 仕事の都合で鹿沼の石塚家に身を寄せる 後藤周二正秀 江戸出身 日光五重塔修復棟梁
石塚直吉吉明 石塚知興の子2代目(3代目石塚直吉明儀で彫系は絶える) 鄭(てい) 台湾新竹市の彫刻師(平成8年)
石塚源次 石塚知興以来の彫刻師の家柄 趣味として独学で学ぶ   台湾三義市の彫刻師(昭和63年)
磯辺義兵衛敬信
磯辺凡龍斎秀信
磯辺木斉
磯辺義左衛門信秀3代目
富田宿(大平町富田)の彫工 磯辺一族の彫物師 大出常吉・政 今市市瀬川出身 神山政五郎の門人
磯辺木斉 磯辺一族の彫物師 左甚五郎11代を名乗った 京都御所大工棟梁左甚五郎7代の左庄兵衛に修行した5人の弟子の内の一人らしい(富田宿口碑伝承)
神山政五郎 鹿沼上久我住 農家出身
趣味が昂じて彫物師に 石塚知興に修行
  富山県井波町の井波彫刻協同組合(昭和63年)
後藤音冶郎 江戸彫刻師 山口忠志 日光出身の彫刻家(昭和53年)
黒崎孝雄(嘉門) 大田原市出身 飛騨で修行   富山県井波町の彫刻師・日展会友の笹川無門(平成4年)
辻幹雄 宇都宮の彫刻師(平成10年) 菅沼 保 今市市の彫刻家(平成12年)

※参考「鹿沼屋台と祭囃子」「彫刻屋台」より
■粟野神社(仲町)秋祭り(昭和30年頃より現在の屋台祭りとなった)
粟野神社の氏子は区域の住民全員が氏子であり、町内全員参加の子供達のお祭りとなっている。
計8台の屋台が各500戸あまりの其々の家の前で、氏子がその家の繁栄と長寿を願ってお囃子を披露する。其々の家よりお囃子の出来によって奉納金が納められ、2年に1度の秋祭り2日間には縦横無尽に8台の屋台が練り歩く。
大胡・中胡・小胡・横笛・鐘の5つのお囃子で1台の屋台を編成し、家族全員で屋台を占領するのが各家族の夢にもなっている。(かつて1軒だけ達成した家もあった)主役の子供達は3歳から両親に撥と半被を用意され、太鼓をたたく訓練を始める。6歳から7歳頃より屋台にあがり、いよいよお囃子デビュー。お囃子の出来によっては肩を2回叩かれると交代するのがしきたりとなっているそうだ。(子供達は、2日間のお囃子の間に撥を持つ手が擦り切れても、手ぬぐいで撥を手に縛ってお囃子を続ける。)
祭り当日神社に朝5時集合。9時繰り込みまでに8台の屋台をそれぞれ組み立てて神社の鳥居に入らなければならない。
早ければ早いほど御利益があり、全台揃って神社に奉納金を納め、いよいよ町内繰り出しとなる。9時〜0時まで15時間お囃子と屋台で町中が賑わう秋祭りとなる。
中には5段囃子を演ずる見事な屋台もあり、「木遣り(きやり)」(張りのある掛声で音頭をとり、働く者の気を一つに合わせる祝儀の歌)が入ると「江戸の粋」を彷彿とさせる。
木遣りを歌う場合は、音頭を出す木遣師と、受け声をする木遣師がいる。また木遣師は、兄木遣と弟木遣に分かれ、交互に歌を出して歌い、さらに木遣りにお囃子をかぶせる。
2日目は主役のはずの子供達に負けじと大人たちもお囃子に参加する。その日の最後、夜9時より神社近くの役場前(神社に全台入らないため)広場で「ぶっつけ」が行われる。
8台が円陣を組んで、3年以上この日のために訓練を積んだ子供達・大人達がお囃子を神社に奉納する。9時から3時間途切れることなくお囃子で優劣を競う様は壮観だ。この時ばかりは各町内全員が集合し、お囃子の上手の品定めをしながら祭り最後の夜は更けていく。
残念ながらこの祭りに参加できるのは区域住民(氏子)のみだが、粋でいなせな木遣りとともにお囃子上手な彫刻屋台の繰り出しは、2年に1度の住民主体の本来のお祭りとなって現在でも続いている。

屋台 昭和35年製作 木遣り・お囃子は江戸からの流れを汲み、江戸時代より代々伝承されている。
屋台製作・祭り費用は住民よりの「奉納金」「善意の寄付金」のみで賄っている。屋台祭りの前までは屋台製作費用を貯蓄するため、神輿で代用していたという。
日光例幣師街道
富士通オープンカレッジ 鹿沼校
(有)ドゥコムアイ